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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)14号 判決

東京都新宿区西新宿二丁目4番1号

原告

セイコーエプソン株式会社

代表者代表取締役

安川英昭

訴訟代理人弁理士

西川慶治

木村勝彦

鈴木喜三郎

上柳雅誉

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

指定代理人

小峰利道

木下幹雄

井上元廣

涌井幸一

主文

特許庁が、昭和61年審判第20695号事件について、平成4年12月8日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

主文と同旨

2  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和53年6月12日、名称を「記録装置」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(特願昭53-70572号)が、昭和61年8月18日に拒絶査定を受けたので、同年10月16日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第20695号事件として審理し、平成2年10月15日に出願公告をした(特公平2-46389号)が、特許異議の申立てがあったので、更に審理したうえ、平成4年12月8日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成5年1月30日、原告に送達された。

2  本願明細書の特許請求の範囲の記載

「熱エネルギーを利用してノズル先端に導いた記録用液体を記録媒体上に液滴として吐出させる形式のオンデマンド型インクジエツト記録装置において、内部に記録用液体収容室を備えた共通の基体に、一端が該記録用液体収容室に連通する複数のノズルをそれぞれ間隔をおいて形成するとともに、上記複数のノズルの各内面に、記録信号を受けて発熱する記録用液体加熱手段を設けてなる記録装置。」

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願明細書の発明の詳細な説明に記載されている「オリフイス16の先端から、吐出すべきインク液滴の量に相当する距離を隔てたその後方内面に発熱体17が設けられている構成」(以下「構成A」という。)は、発明の詳細な説明に記載された発明の必須の構成要件であるにもかかわらず、本願明細書の特許請求の範囲に記載されていないので、本願は、特許法36条5項(昭和60年法律41号による改正前のもの、以下同じ。)の要件を満たしていないと判断した。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

1  本願発明は、インク滴の吐出に必要なインクの加圧手段を、従来の圧電方式によるものから、加熱方式によるものに代えることによって、吐出口の高密度化と印字の高速度化を可能としたものである。

すなわち、本願明細書に従来例として挙げられている特開昭50-123231号公報記載のオンデマンド型インクジェット記録装置は、圧電素子の機械的な変形を利用し、インク室内容積を変化させてインクに圧力を加える圧電方式を採用しているが、この圧電方式は大きな配設スペースと可動部とを要するのに対し、本願発明は、加熱手段の熱エネルギーを利用し、インクを気化膨張させることによってインクに圧力を加える加熱方式を採用しており、この加熱方式は、加圧のためのインクの気化膨張に格別の配設スペースや可動部を必要とせず、加熱手段(抵抗体)を小さく形成できるから、吐出口の高密度配列を可能とすることができる。

また、このように大きな配設スペースを特に必要としない加熱方式を採用することによって、インク流路を短くできるから、インク滴の吐出から次のインク滴を吐出するまでの時間、つまり毛細管作用によるノズル先端へのインクの要復帰時間を短くして、印字速度をより高めることができる。

この加熱手段を極端にノズル先端部に近づけた構成が審決のいう構成Aであり、このものは、本願発明の効果を最大限に発揮する一実施例であるが、従来の圧電方式の圧電素子の配置位置よりも加熱手段をノズル先端に近づけた構成(以下「構成B」という。)も、圧電方式に比べて、印字速度をより高めることができることは明らかである。

2  本願の特許請求の範囲には、圧電方式による従来装置の欠点を解決し、上記効果を達成するための不可欠の構成として、「共通の基体に、一端が該記録用液体収容室に連通する複数のノズルをそれぞれ間隔をおいて形成するとともに、上記複数のノズルの各内面に、記録信号を受けて発熱する記録用液体加熱手段を設けてなる」という、構成Aのみならず構成Bをも包含する構成が記載されている。

審決は、本願発明の実施例の構成にすぎない構成Aを本願発明そのものの構成であると誤って認定したため、本願発明の構成に欠くことのできない事項が特許請求の範囲に記載されていないと誤認し、その結果、誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

第4  被告の反論の要点

1  本願明細書の特許請求の範囲に記載された発明の構成の技術的意義は一義的に明確に理解でき、この構成によって、発明の詳細な説明に記載されている吐出口の高密度化と記録速度の向上という本願発明の二つの目的のうち、前者を達成できることは認める。

しかし、この構成によっては、後者の目的を達成することはできず、この二つの目的を同時に実現するためには、構成Aを採用することが必須である。

原告が主張する構成Bのものの記録動作は、構成Aのものとは異なり、インクを気化し、凝縮するものであり、また、インクに正と負の圧力を作用させるものと認められるところ、本願明細書には、構成Aについての記録動作しか説明されておらず、インクが凝縮することは記載されていない。また、本願出願前に、熱エネルギーを利用してインクを気化し凝縮してインクを吐出させることは周知の技術でなかったのであるから、構成Bの記録動作は、本願明細書の記載から自明のものでもない。

このように、本願明細書の発明の詳細な説明には、構成Aを具備しない構成によって、発明の詳細な説明に記載された記録速度の向上という本願発明の目的を達成できることについては、何ら記載されていないから、構成Aは、発明の詳細な説明に記載された発明の構成に欠くことのできない事項というべきである。

そして、特許法36条5項の規定によれば、特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならないところ、本願明細書の特許請求の範囲には、構成Aについては記載されていないのであるから、審決の認定判断に誤りはない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  本願明細書(甲第2号証)の発明の詳細な説明の欄には、従来技術につき、「インクタンクと吐出口を結ぶ流路内に圧電素子を配設し、これに信号電圧を印加して歪ませることにより流路内のインクを加圧して、その一部を吐出口よりインク滴液として記録媒体上に吐出させるようにした例えば特開昭50-123231号公報に見られるオンデマンド型のインクジエツト記録装置は、記録時に騒音が発生しないことと、普通紙上への記録が可能な点で優れているが、反面、圧電素子の歪量が小さいために所要粒径のインク液滴を吐出させるには素子の有効面積を大きくしなければならず、このため、多数の吐出口を高密度に配列するのが困難であるといつた問題を有するほか、圧電素子が復元する際に一旦吸引されたインクが再び復帰するのに時間を要するため、記録速度を十分高めることができないといつた問題を有している」(同号証1欄17行~2欄7行)として、その欠点を指摘し、「本発明はかかる問題に鑑みてなされたもので、その目的とするところは、吐出口をより高密度に配列することができると同時に、記録速度をより高めることのできる構造簡単な記録装置を提供することにある」(同2欄9~13行)と本願発明の目的を明らかにしたうえ、この目的を達成するための手段として、上記特許請求の範囲に記載されたとおりの構成を記載している(同2欄15~24行)。

そして、これに続いて、「以下に本発明の詳細を図示した実施例に基づいて説明する」(同3欄1~2行)として、審決のいう構成A、すなわち、「オリフイス16の先端から、吐出すべきインク液滴の量に相当する距離を隔てたその後方内面に発熱体17が設けられている構成」を具備した本願発明の実施例を図面に基づいて説明している(同3欄3行~4欄4行、図面第1、第2図)。

これらの記載によれば、本願発明は、オンデマンド型インクジェット記録装置において、ノズル先端に導いた記録用液体を記録媒体上に液滴として吐出させるための手段として圧電素子を用いていた従来技術の上記欠点を除去するために、圧電素子の使用そのものを止め、代わりに記録用液体加熱手段を採用して、その特許請求の範囲に記載されたとおりの構成としたものであり、上記実施例は、特許請求の範囲に記載された構成を備え、かつ、その加熱手段の配置位置を、特許請求の範囲に記載されている「上記複数のノズル各内面」のうちの「オリフイス16の先端から、吐出すべきインク液滴の量に相当する距離を隔てたその後方内面」に設けたものであることが明らかである。

2  そして、本願明細書の特許請求の範囲に記載された発明の構成の技術的意義は一義的に明確に理解でき、この構成によって、発明の詳細な説明に記載されている吐出口の高密度化と記録速度の向上という本願発明の目的のうち、少なくとも吐出口の高密度化を達成できること、また、構成Aを備えた上記実施例が、吐出口の高密度化に加え記録速度の向上をもたらすことは、被告も認めて争わないところである。

そうとすると、本願明細書の特許請求の範囲には、その発明の詳細な説明に示されている発明につき、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されており、その記載に何らの不備がないことは明らかである。

仮に、被告主張のとおり、記録速度の向上という目的が上記実施例の構成により初めて達成されるものとしても、それが、特許請求の範囲に記載された本願発明の構成に基づいて、その実施態様によって達成できる目的である以上、これを本願発明の目的、すなわち、従来技術との関連において本願発明が解決しようとした課題として、発明の詳細な説明に記載することは、何ら特許法の禁ずるところではなく、この記載があることから、本願明細書の特許請求の範囲の記載が不備であるとすることはできない。

審決の判断及び被告の主張は、およそ採用できない。

3  以上によれば、審決の判断は誤りであり、審決は違法として取消しを免れない。

よって、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 芝田俊文)

昭和61年審判第20695号

審決

東京都新宿区西新宿2丁目4番1号

請求人 セイコーエプソン株式会社

東京都文京区小石川2-1-2 十一山京ビル7階

代理人弁理士 西川慶治

昭和53年特許願第70572号「記録装置」拒絶査定に対する審判事件(平成 2年10月15日出願公告、特公平2-46389)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

Ⅰ. 本願は、昭和53年6月12日の出願であって、前置審査において出願公告された明細書(特公平2-46389号公報)の特許請求の範囲には「熱エネルギーを利用してノズル先端に導いた記録用液体を記録媒体上に液滴として吐出させる形式のオンデマンド型インクジェット記録装置において、内部に記録用液体収容室を備えた共通の基体に、一端が該記録用液体収容室に連通する複数のノズルをそれぞれ間隔をおいて形成するとともに、上記複数のノズルの各内面に、記録信号を受けて発熱する記録用液体加熱手段を設けてなる記録装置。」が記載されている。

Ⅱ. これに対して、当審における特許異議申立人船越悦子は、本願明細書の発明の詳細な説明に記載されている「オリフイスの先端から吐出すべきインク液滴の量に相当する距離を隔てたその後方内面に発熱体17が設けられている」構成は、本願発明の必須の構成要件であるにもかかわらず、本願明細書の特許請求の範囲に記載されていないので、本願は特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていない旨の主張をしている(なお、特許異議申立書における特許法第36条第5項とある記載は、昭和60年法律41号により改正されたので、特許法第36条第4項と読み替えて検討する)。

Ⅲ. 上記主張について検討する。

〈1〉出願公告された本願の明細書及び図面(特公平2-46389号公報、以下本願公告公報という)の記載によれば、本願明細書の発明の詳細な説明に記載された「オンデマンド型インクジェット記録装置」は、発熱体17の内側に位置するインクが、発熱体により周面から加熱されて気化し、気化して体積膨張を起こしたこの部分のインクが、オリフイス前方でメニスカスを形成して安定的に位置しているインクをインク液滴として記録媒体に向けて噴出させ、同時に自らもオリフイス16内面に付着したインクを払拭して噴出する様な記録動作を行うものと認められる。そして、発明の詳細な説明に記載された前記「オンデマンド型インクジェット記録装置」が前記の様な記録動作を行うためには、「オリフイス16の先端から、吐出すべきインク液滴の量に相当する距離を隔てたその後方内面に発熱体17が設けられている構成」(以下「構成A」という)は、本願公告公報の第1図と第3欄第3行~第21行における本願発明の実施例の記載、ならびに、第2図と第3欄第25行~第4欄第4行における本願発明の実施例の記録動作の記載からみて、構成上不可欠な事項であると認められる。

〈2〉これに対して、本願明細書の特許請求の範囲には、オンデマンド型インクジェット記録装置の記録用液体加熱手段(発熱体)の位置について、単に「ノズルの各内面に、記録信号を受けて発熱する記録用液体加熱手段を設けてなる」と記載されているだけであって、前記構成Aが記載されていない。また、本願明細書の発明の詳細な説明に記載された様な「オンデマンド型インクジェット記録装置」が本願の出願前に当業者に周知であったものとは認められないので、上記構成Aが、本願明細書の特許請求の範囲の記載から自明のものであるとも認められない。

〈3〉以上のことから、構成Aは、本願明細書の発明の詳細な説明に記載された発明の必須の構成要件であるにもかかわらず、本願明細書の特許請求の範囲に記載されていないものと認める。

Ⅳ. したがって、特許請求の範囲に、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項が記載されていないので、本願は、特許法第36条第4項に規定する要件を満たしていない。

よって、結論のとおり審決する。

平成 4年12月8日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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